回答
仏教の言葉は、もともとサンスクリット語やパーリ語ですので、それから英語に訳されたものを使う方が、正確です。日本の仏教で使われているのは、遠い昔に翻訳された中国語なので、それから英訳すると多重の翻訳になってしまいます。
とはいえ、英訳にもいろんな翻訳があります。キリスト教の聖書はもっと多数の英訳があります。どの翻訳を使うかは、個人の解釈の仕方や、その言葉を使う目的によって選ぶといいと思います。
「サイの角のように、ただ独り歩め」
これはブッダの初期の教えで、寺院などの集団の中に入って修行することに対して、森や洞窟の中で、独りで熱心に修行することの恩恵を説いたものです。「目的に向かってまっすぐ進め」という意味ではないので、気をつけてください。
タニサロ・ビクの英訳は、こうなっています。
Wander alone like a rhinoceros.
サイのように歩き回れ。
https://www.accesstoinsight.org/tipitaka/kn/snp/snp.1.03.than.html
翻訳に注釈があります。パーリ語の「khaggavisāna」を直訳すると、「sword-horn」(刀、角)で、間接的にインドサイのことを指していると言われています。
インドサイには刀のような角が1つあります。ブッダはこの角を比喩として使い、周りの人たちから受ける影響に依存するのではなくて、独りでも熱心に修行しなさいと説いたのです。
しかし、角は体の部分であって、それ自身は歩き回ることが出来ません。「角のように歩き回れ」というのは、現代語では変です。そこでタニサロ・ビクは、上記のように、「サイのように歩き回れ」という英訳にしました。実際に、インドサイは、一頭で歩き回るそうです。
変でもいいから、「インドサイの角のように歩き回れ」にするのであれば、こうなります。
Wander alone like the horn of the Indian rhinoceros.
「一切皆苦」
sabbe sankhārā dukkhā
一切皆苦は仏教の根本ですが、直訳すると、
All is suffering.
になってしまいます。これだと「そんなはずはない、楽しいことだってたくさんある」という反論がすぐにあります。そんな悲観的な考え方は、受け入れられません。
まず、「sabbe sankara」とは、
all formations
つくり上げられているものすべて
と言う意味ですが、もう少し分かりやすくするために、次のような訳が使われています。
all volitional activities
意思を伴う活動すべて(漢語で「行」)
all mental formations
心がつくり上げるものすべて
everything created by delusion
痴(貪瞋痴の痴)によってつくられたものすべて
all experiences
すべての経験
さらに難しいのは「dukkha」です。大昔の人が、パーリ語の「dukkha」を漢語で「苦」と訳しました。実は、日本語にも英語にも、「dukkha」と一致する言葉はありません。
蚊に刺されるような痛みから死ぬほど激しい痛みまで、またはちょっとした不快感から夜も眠れないような悩みまで、非常に範囲が広い言葉です。
unhappiness
不幸
pain
痛み
unsatisfactoriness
不満足
stress
ストレス
以上を考慮して、私が個人的に考えているのは、これです。
All activities are sources of stress.
すべての活動はストレスの源