すわん123さんへ
本当に毎回ありがとうございます
Troublingly, faith in the power of markets had spread by the 1990s to the point where financial liberalization was being pushed by some of my own colleagues in the administration, and eventually by Clinton himself. の訳は
厄介なことに、市場の力への信頼は1990年代に至るまでに、金融自由化が政権内の私の同僚の何人か、そして最終的にはクリントン自身によって推進されていた程に、既に広がっていた。
で大丈夫でしょうか?
faithを信頼に訳すか、盲信に訳すか 迷ったのですが、どちらが良いのでしょう?
回答
蘭霧さんこんにちは!
そうですね...。蘭霧さんの「厄介なことに、市場の力への信頼は1990年代に至るまでに、金融自由化が政権内の私の同僚の何人か、そして最終的にはクリントン自身によって推進されていた程に、既に広がっていた。」という訳は完璧だと思うんですが、faith をどう訳すかは、このことばを日本語でどう解釈するかにかかっていますよね...。
ご存知の通り、faith ということばは、信仰という大まかな意味から派生して、科学的な証明や理屈などに依らない、ただただ主観的に何かを信じること、という、宗教とか神秘とかのレベルでの「信じる」という意味があるので、そこから「信頼」「盲信」という解釈もできるかと思います。特にこの文脈では、金融自由化を推し進める根拠となったものが「市場の力」という曖昧な概念に寄るものだったという意味で、それが「盲信」だと言えるような気もします。ただ、翻訳としてそこまで主観を入れていいのかな?とも思うところがあって、それは読み手に任せたほうがいいかも、という感じもしますので、私だったら faith in the power of markets については「市場の力への信仰は...既に広がっていた。」と「信仰」ということばを選ぶかな、と思います。