日常生活の糧を言いたい現在完了形「present perfect」
https://qa.weblio.jp/haveの本質第一弾現在完了形のhaveの因果の達成の意味-83811
この流れでこれ以上返信がしづらいことになってしまいました。
前回のこの質問では、内容が大袈裟過ぎましたので、普通に戻して
「present perfect」の認識が間違っていないかの再度仕切り直しで質問をまとめさせていただきます。
結局、現在形の一種なので過去現在未来に渡る事実、すなわち、
「日常生活」での「普通」の「毎日の習慣」での欠かせない「拠り所」が言いたいことであって、たまたま「have」したのが、長短様々な過去の継続範囲の一例だっただけのことです。
期間や回数や最近が限定されていても、長短そのものは持久力か集中力の差だけに過ぎず、言いたい本質ではありません。
この出来事が極めて欠かせない要因となって人生の糧としてこれから継続してずっと持ち続けているということが本当に言いたいことです。
決して単に意味なく継続して経験して完了して済んだ過去とすることではないと明確に言えます。
(継続して)… してきた
(経験として)… したことがある
(完了として)… してすんだ
(最低でも今)… してきたばかりだ
という過去の完了を本当に言いたいのではない。
用法の分類も、した長さや回数や今したばかりというのもたまたまの流れの境遇の一例に過ぎず、本質でない。
重要なのは、この過去の特別な出来事を人生の糧/肥やし/教訓/支え/拠り所としてずっと持ち続けていること。
「present perfect」を「現在完了形」と訳すのは、明らかに日本人の無知さの誤訳です。
「present」は、決して単なる「今」だけの意味ではなく、「タネ(因)」であって「存在の前提となる条件」です。
「perfect」は、決して「完了」のような終点思考のものではなく、「欠かせない」という「必然性」です。
「present perfect」をずばり言うと、生きる(存在する)ために最低限欠かせない最も直接的な「要因」として、人生の糧/肥やし/教訓/支え/拠り所をずっと持ち続けているという意味です。
この認識なら、「present perfect」を大袈裟でなく、普通に良く理解できますでしょうか?
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