回答
こんにちは。
英語を母語として使ってきた人で、英語を教えたり言語として研究したりする必要がない人にとっては「これはどの文型?自動詞?他動詞?」などの疑問は、恐らくあまり実用性のないものであると考えられるでしょう。同じく、以前「コミュニカティブ・アプローチ」と言われていた教授法で、文法の学習からではなく、あたかも母語を習得するかのように反復や模倣から言語を習得する方法を用いるのであれば、自動詞・他動詞などといった文法の知識も優先順位が低くなるかもしれません。
私自身は英語の教授法や言語学をしっかり学んだというわけではないのですが、日本語が母語で、外国語として英語を習得して第二の生活言語として使っている者としての主観的実感からすると、日本語が母語でありながら英語を第二言語として要領よく習得する際に、英語という言語の文(主語と動詞のセット)の成り立ちや構文の基本構造の知識を持って念頭においておくことは、非常に重要かつ有益だと感じています。
言語学や教授法を学ぶとすれば別かもしれませんが、使う言語としての英語の文法を学ぶ上では、自動詞または他動詞、及び目的語の要不要という文法の知識自体に着目するよりも、まず自分が言いたい・書きたい事を英語の文として意味の通るように構築したいと思ったときに、英語の文の要素を欠かさずに適切な言葉遣いで意味が通るものにできるかどうか、または誰かが言ったり書いたりした文の意味を正しく理解するために、その文の要素を誤解なく欠かさず捉えることができるかどうか、という発想の延長上に、自動詞・他動詞の区別や、目的語の要不要といった英語の文法の知識があると考える方が、役立つのではないかと思います。
I look.という英文は、その動詞が自動詞で補語を必要としない場合に「見る」という意味を持つという知識があれば、この文が必要最低限の文の要素(主語+補語を必要としない自動詞)を揃えているので、文法的には英語の文として成立するということがわかります。そこから時制を鑑みてこの文章を見た時に、それが不自然だな、ということがわかります。つまり、lookに目的語や補語がないのでこれは自動詞=見るという意味だと理解でき、そして普遍的な動作を表す現在形で I look. と言っているため、「私というものはモノを見る存在なのだ。」みたいな哲学的な意味になってしまうからです。哲学者デカルトの言葉「我思う、ゆえに我あり」も英語で「I think, therefore I am」と訳されていますが、そういう感じです。この同じ英文を、例えば I'll look. と未来形にしてみれば、誰かに「Can you take a look when you have time?」と頼まれた答えとして「OK, I'll look.」と言っているのかな、というような自然でリアルな文意が生まれるので、自然に聞こえるようになります。
He came. も同じで、「I was wondering if he would show up yesterday.」などと誰かが言った返答として、「Oh, he came.」と答えているとすれば、リアルで自然に聞こえます。これも、comeという動詞が自動詞で使われた際に「来る」という意味を持つということを知っていて、comeの自動詞はそれ以上主語を補う補語がなくても意味が通るという知識があれば、これだけで英文として成り立つということがわかるわけです。
外国語として英語を習得する人にとって、このような理解が可能になるには、英語の文章には主語+動詞というセットが欠かせず、しかも動詞には目的語を欲するかしないかで自動詞と他動詞があって、自動詞にも主語についての補語を欲するものとしないものがある、というような文法の基礎知識が念頭にあるからです。そのおかげで、文法的かつ文意的にこれらの文を意味の通るものとして言ったり書いたりできるし、誰かがこういうことを言ったり書いたりした時にも正しくその意を汲むことができる、というわけです。
他動詞が他に何らかの影響を与える動詞だ、という日本語の説明自体が、ちょっと不明確というかわかりにくいな、と思います。他動詞は、単純に、目的語を欲しがる動詞だよ、ということでいいんじゃないかと思います。
I read. も、コンテクストによってはリアルな意味として取れます。例えば、「Do you read?」あなた、読書するの?と尋ねられて、「Oh yeah, I read, but only those cheap romance novels.」という返答で使うとすれば、十分にリアルな英文です。ここで、readを自動詞で使うと「読書をする」という意味になるという知識がなければ「huh, read what?」え?読むって何を?みたいなトンチンカンなことになってしまいますね。
I hear. も、それだけでは上の「私というものは音が聞こえる存在である。」みたいな謎の英文ですが、例えば否定文にして「My dad doesn't hear well.」と言えば、あ、耳が遠いって言ってるんだな、ってことがわかります。これもhearを自動詞で使うと「耳が聞こえる」という意味になるってことを知らないと、意味が通じませんね。
このように、同じ動詞でも自動詞と他動詞で意味が変わるので、区別を理解しておくことは有益だと思いますし、その延長線上で他動詞であれば目的語を欲しがるから、という感じで文を作っていくことが可能になるというメリットもあると思います。
いかがでしょうか。